『オカルティック・ナイン』第6話感想・考察
久しぶりに書きます。
凄まじいどんでん返しというか、物語の絶対条件であるものを消滅させる大ネタバレが発覚しましたね。この時点でハッピーエンドは有り得ないのでは。
まず、第4話あたりの記事についてのコメント、ありがとうございました。皆さんは第4話のうちに、少なくとも澄風は死んでいるとうことに気づいていたわけですね。しかし、こんな露骨な描写があったのに気づかなかったのはとても恥ずかしい。
さてここで提起される問題は、誰が死んでいて誰が生きているか、生きている人間の内誰が「視え」ているか、だと思います。現時点では、
死んでいる
・我聞
・サライ
・澄風
・森塚
生きている
・アリア
・みゅーぽむ
・りょーたす(確定)
・和泉
・西園
・日下部
(生きているという仮定の上で)視えている
・りょーたす(確定)
・みゅーぽむ
・西園
・アリア
かなり適当にまとめました。生きている人たちというのもかなり不確定です。視えている、と言っても、それが死んだ者同士で視えているのか、生きている者の霊感的な何かで視えているのか、まったくわかりません。たとえば今回では森塚とアリアの会話シーンがそれにあたります。ただ、アニメ公式のイントロダクションで、
と、りょーたす(多分)が紹介されているので、りょーたすだけは生きていて何らかの能力によって死んだ人間たちと通信ができる、というのは確定だと思います。
本筋の話はさておき、今回は視聴者を驚かすというか怖がらせる演出がとても素晴らしかったですね。僕なんてアルビノの少年が出てくるごとに視聴リタイアしたくなってます。アリアと森塚の会話シーンでもぐるぐるとカメラが回り続け、もうええやろ...となってからのBGM停止+ドス声もシビれました。
また、集団自殺発生以後の回を見直してみると、新しい発見があるかもしれません。何か気付いたら、また記事書きます。